誕生背景

 

たちのストーリーをご紹介します。

 

なぜ、蕎麦なのか?

 

グローバル化が進む農業分野において、増え続ける耕作放棄地にどのようにアプローチしたらよいのか、頭を悩ませていました。目の前に膨大な耕作放棄地が広がっていますが、作り手がいないため、何も動きません。この歯車を動かすためには、何らかの特産品が必要ではないだろうか。こんな想いを胸に、モノもお金も何もない所から、ほんの数人で立ち上がりました。

 

大根、里芋、ブロッコリーなど、色々作る農作物を考えました。しかし、新しく何かにトライしようと思っても、平均年齢の高い私たちの体力や後継者不足による農業従事者の減少など、行く末に限界を感じました。素敵なアイデアやグラフを多様した計画書によるプレゼンテーションは、一見カッコイイものですが、それを実践し持続できなければ、絵に描いた餅に過ぎません。

 

耕作放棄地問題で日々モヤモヤしている中、私たちは、地元の歴史・文化などにも色々想いを巡らせました。この地元の魅力って何かなぁ~。ふと、蕎麦栽培のことが脳裡を過りました。蕎麦栽培であれば、地元の歴史・文化にもマッチングし、そして平均年齢の高い私たちでも栽培から収穫まで行うことができるのではないか。

 

ここに大山そばの起源は、約850年前に遡ります。大山寺の高僧の基好上人(きこうしょうにん)が水稲栽培の難しい大山山麓の裾野を利用して、蕎麦の栽培を奨励したことが始まりであるとされています。また、日本三大牛馬市として有名で、現在の大山博労座で行われていた牛馬市では、大山そばが参詣客へおもてなし料理として提供されていたとの言い伝えもあります。

 

しかし、大山町を知らない国内外のお客様の舌を地元の歴史・文化のみでおもてなしする蕎麦では、本当の満足感を味わっていただくことが困難です。私たちのご提供する蕎麦が、「また食べたい」とか「本当に美味しい」とか感じていただけなければ、地元の歴史・文化の押しつけに終始してしまい、お互いにハッピーにはなれません。

 

人は、出会うべきタイミングで、出会うべき人と、出合います。

 

全国には、有名、無名を問わずたくさんの蕎麦が存在しています。大山そばの再興を本気で考えた私たちは、「食べて本当に美味しい」と感じていただける蕎麦の研究・開発にのめり込んでいきました。そのきっかけとなったのは、研究開発中に紹介で巡り合った、鳥取県の主幹普及員であった森田陽子先生との出会いでした。

 

森田陽子先生とのご縁から、枝葉のようにさらにご縁が生まれ、製粉、製麺技術など蕎麦に関する様々な知見を学ぶことができました。大山そばの再興への想いをのせた大山かおりそばは、「食べて本当に美味しい」と感じていただけることを主軸に、研究開発による試行錯誤の結果、納得のいく蕎麦の開発にこぎつける事が出来ました。蕎麦を通じて、人とのご縁、地域連携の大切さを学ばせていただきました。

 

大山かおりそばを、オフラインから、オンラインへ。

 

私たちのウェブサイトを立ち上げてくれた地元の若者たちとの出会いにも恵まれました。大山そばの再興から地元を元気にしたいという想いに共感し、その誕生経緯や活動実績など取材のうえテクノロジーの力を活用し、私たちのことを情報発信してくれています。今までほとんど知られていないオフラインの世界にあった私たちは、現在、大山かおりそばと共にオンラインの世界に立っています。スタートから5年目のことです。

 

「人は、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。しかし、内に求める心なくんば、眼前にその人ありといえども縁は生じず。」、著名な起業家、政治家に影響を与え続けている哲学者であり、教育者でもあった今は亡き森信三先生の名フレーズです。体験を通じてこのフレーズは、私たちの人生において確かなものとなりました。

 

皆さんは、人とのご縁や出会いに感謝していますか?ご縁や出会いは、向こうからやってくるものではありません。目の前の物事に一生懸命取り組んでいると、必ずそれを見ている人がいます。そして、道は開けてきます。モノもお金も何もなかった私たちは、ご縁や出会いに支えられ心を儲ける喜びを知りました。私たちは、自慢の大山かおりそばで、地域の歴史・文化の継承と共に、地元を元気にする活動を行って参ります。